毘沙門天王とは

福神の神、戦いの神など色々といわれてきました。又、北方の守り神ともいわれてきました。
日本で最初に出現されたのが、信貴山です。それから全国にお祭れされました。
瀬戸毘沙門天王さまは昭和32年7月3日、天界から御降臨いただきお祭りしました。

毘沙門天は、広く遠く名の聞こえたものと言う。多聞天とも言う。光明神から施福神に変化して以後は富の神として信仰され、わが国の、七福神の一人として数えられるようになった。  


功徳は、四天王の場合は、多聞天と呼び、毘沙門天と呼ぶ場合は、四天王のうち第一の勢力をもって、他の三天王をしたがえる。誓願は、仏法守護であるが王城守護から国家鎮護へと役割が拡大され終わりには密教的とばつ毘沙門天の出現するにいたった。聖徳太子は、鎮護国家のために、難波に四天王寺、信貴山には朝護孫子寺を建てた。
又、平安京の北の方に鞍馬寺で毘沙門天を祭った。像形は、右手に宝棒、左手に宝塔をかかげる姿が多い。
真言は「ノウマクサマンダボダナン・バイシラマアンダヤ・ソワカ」

昭和32年7月23日天界より瀬戸にご降臨され、長島家に最初お祭りする。
今年が54年になります。瀬戸毘沙門天王さまがあって、今日の長島病院、特別養護老人ホーム「多聞荘」、ケアハウス「たもん」、グループホーム「多聞」マリベール「多聞」長島興産有限会社、有限会社「おひさま」 古城企画ができてきました。
これからもますます世のため人のために、頑張りたい。
 
信貴山では
今年は12年に一回の寅年です。今から1千4百年前、寅の年・寅の日・寅の刻と、寅の三つ重なった日
に聖徳太子さまが、信貴山で毘沙門天王様を感得され、大変なご利益をいただかれました。
 そこで、信ずべき尊ぶべき山、は「信貴山」とおおせられたのが、信貴山の初めです。以来寅の刻を御
縁日と定め、奥秘仏本尊・毘沙門天さまを祀
りしています。

十二年の一度の寅年には「三寅大法要」として「毘沙門(結縁)潅頂」を行い毘沙門天王さまとのご縁を一層深める法会を厳修します。
ご降臨54年の年



inserted by FC2 system